onasotu0333のブログ

おなにーを封印する漢の備忘録,記録.有意義なメッセージを發していくで候。知らんけど

休日の随感

今日は一風変わった記事。

 

我々の心のメカニズム的な事を少し書きたくなった。

 

我々は、今の自分はまだ完全じゃない。もっと何かしなきゃいけなくて、より完全な自分にならなきゃいけない。と思っている。そうでなきゃ安心できぬという不安を抱えている。

 

だが、普段我々はその不安と向き合う事はあまりしないようである。

 

その不安とモロに同一化し、その不安の声を信じ込み、強迫的な衝動による行動に出る事がよくある。

 

それは個々人の性質によってあらゆる仕方で表れる。

 

筋トレをし、自分磨きをし、ダイエットし、何らかの能力を身につけお金持ちになり、成功し、仕事ができる人になり、モテて、〇〇大会に優勝し、ダメな(と思い込んでいる)自分を克服し、自制心を身につけ、迷いをなくし、悟り、愛のある人になり、大切な人を幸せにし、、ようやく安心する、、。

 

そんな感じで自分の作り上げた脳内物語のイメージを信じ込む。

 

 

しかし、安心はこない。

 

例え自分が理想とする自分の状態へ辿り着いたとしても。

なぜなら、まだ、「自分は満たされていない、完全ではない」といった観念、思い込みの虚構性を見破ってはいないから。

 

まだ安心を求めて、満たされた完全性を求めて、もっともっとと、自分を駆り立てて向上意欲を燃やし成長しようとする。

 

その衝動の根源である不安の幻想性はまだ見破れていないから、辿り着いた未来でも同じようにまだ求める事をやめない。やめられない。

 

その全ては何も間違ったことじゃない。

 

もちろん、正確でもない。

 

 

ただそういう行動によっては安心は訪れ得ぬということ。

 

そもそも、不安を解消しようとする方便として、思考を活用し、自分の中でルールを作り上げている。

 

今のままのこのままの自分じゃダメだから、まだ満たされていないから、あらゆる条件を自分に課し、その条件をクリアしたのち、ようやく、自分は満たされ、完全になり、安心できる。

というようなルール。

 

そんな脳内ストーリー思い描いている。

 

ルールを設定すると、そのルールに沿って、行動され、目的を達成するまで満たされぬ、安心できぬ、

と言った架空の、(イメージ上の)心的状態を作り上げ、目指すべき地点へ到達するまでその衝動と論理の歯車は止む事はない。

 

むろん、我々はルールを設定した事など大半は忘れていて、無意識であり、そのプログラム通りに動く自動機械なのである。

ルールをルールとして見破られると、デプログラムされ、デフォルトの、無条件で安心していた自分に戻る。

 

・・・

 

不安に同一化すると、不安から起こる脳内のストーリーに巻き込まれる。

 

という話をしたいだけなのに、思うように、語ることができないw

(文章って難しい。)

 

 

じゃあどうすれば、って話だが、

 

 

不安はあってよいが、不安に惑わされなくていいということだ。

不安はイメージ上に湧き上がるものであり実体のなたいものだ。

 

そもそも、自分はまだ満たされてない、って不安。

それってホント?

って疑ってみる。

 

ウソやーん!っていう見抜き。

 

そもそもワシらは人生をスタートした瞬間からボタンのかけ違いをしてるんじゃね?って話。

 

幼い頃から、ずっ〜と微かな感覚でワイに語りかけてきた、本当の声。

 

「おまい、そのままで完璧やん。まだこれ以上上へ行こうとするのんか?やるやん。変態やん。」

 

って声。

 

そいつに正直になってみる。

 

 

 

まずは、今の自分のまま、そのままの自分で良い。という認識。

 

いや今のままじゃアカンやん!って衝動は、取り敢えず置いておく。

 

やいのやいの、激しく突っかかって来る思考も置いて置く。

 

無理そうだったら、その思考、自我ちゃん、不安ちゃんを優しく見守ってあげる。

 

どんな弱く、ダメな、無力な自分もここに居ていいということ。

 

嘘でもいいから、まずはそういうことにしてみる。

 

そして、

無条件にそのままの自分を許すということ。

今のままでくつろげると至る(しる )こと。

 

その後は、

 

あらゆる条件、そしてルールは、生きる事を楽しむ為のスパイスであるものとして機能しはじめる。

 

設定したルール、ルール上の条件を達成されないと、満たされぬ、安心と幸せは来ない、といった事はないのだ。

 

 

向上心がなくなるって話じゃない。

それは自然に残る。

ルールに沿って何か行動、活動する事に深刻じゃなくなるって事だ。真剣だが深刻ではなくなる。

この違い分かるかな?

 

ようは重たさがなくなり軽くやるって感じかな。

 

 

ルールも条件もこの世を楽しみ遊ぶ為道具である。

 

道具に支配されちゃ本末転倒ぜよ。

 

 

我我はルールを設定し、それをクリアしなきゃ満たされぬという自作自演しているだけだったのであ〜る。

 

「このままじゃ、ヤバイ。」

 

そんな声で世の中は溢れてるし、ヤバイから何とかしなきゃならない。その為のノウハウや成功哲学や情報ばかりがもてはやされる世の中だけど、

 

まぁ、ワィには関係ないし、知ったこっちゃないよね〜

 

って感じでスルーしとけばおk.

 

 

99%のしなきゃいけないことは、別にしなくてもよいことだ。

 

つまり、どうでも良い事だ。

 

うん、どうでも良い。

 

どうでも良いから犯罪でも何でもしてもいいって事じゃないよw

 

どうでも良いから人生真剣じゃなくなるってことはないし。

 

まぁそんな時期もあったけど。

 

とにかく

いい悪いの判断が抜けると、本当どうでもよくなる。いい意味で。

 

お気楽になれる。

 

 

この世は道楽だ。

 

茶番だ。

 

全くのジョークだ。

 

構うことはなく、好きに遊べばよい。

 

君はそのままでいい。

 

「あっ、ワィそのままでよかったんや。」

 

ってふぁっとゆるむ。

 

自分にくつろげる。

 

そんな誰かの手助けにならん事を。

 

 

(誰が読むんだこんな文章)

 

 

 

しかし、ウーム、ホント下手な文章だ。無駄に長い割に

思うことがうまく言えないわ。

 

(初めてスマフォから打った。そのせいもあるのかなぁ。知らんけど